※内容をイメージしやすいよう、一部に生成AIで作成したイラストを使用しています。
子どもが小さい頃、保育園へ預けて働くことに少なからず葛藤がありました。
もっと一緒にいた方がいいのではないか。
寂しい思いをさせていないだろうか。
と考えることもありました。
それでも、一緒に過ごせる時間が限られているからこそ、その時間を大切にしたいという思いはずっとありました。
その中でも私が大切にしたかったのが、毎日の食卓です。
できる範囲で整えた食事を囲みながら、その日の出来事を話したり、子どもたちの様子を感じたりする時間を大切にしたいと思っていました。
1.あたりまえに続いていた、あの食卓
子どもの頃、食卓はいつも当たり前にそこにありました。
母を中心に、家族みんなが準備をしてくれていました。
祖父母も一緒に暮らしていたので、自分の好きなものばかりが並ぶわけではありませんでした。
それでも、毎日変わらない安心感がありました。
今思えば安心だったのは、どんな日も食卓がそこにあったことです。
誰かがいて、温かいごはんが並び、「いただきます」と言えたこと。
その何気ない時間が、毎日続いていたこと。
それ自体が、私にとっての安心だったのだと思います。

2.一人暮らしで気づいた食卓のありがたさ
疲れた日に外で食事を済ませることもありました。
おなかは満たされます。
でも、どこか心が落ち着きませんでした。
食事はできているのに、家の食卓とは何かが違う。
当時はうまく言葉にできませんでしたが、今思うと「安心感」が足りなかったのかもしれません。
また、朝食にコンビニのおにぎりやサンドイッチを食べることもありました。
そこに温かいおみそ汁やスープがあるだけで、満たされ方が違うことにも気づきました。
食事は体を満たすだけではなく、心も支えてくれていたのだと思います。
3.今はつくる側になって
今は、その食卓をつくる側になりました。
母は専業主婦でしたが、わが家は共働きです。
子どもたちにとっての祖父母も一緒には暮らしていません。
子どもの頃に感じていた温かい食卓。
理想はあるのに、同じようにはできないもどかしさを感じることもありました。
子どもを保育園へ預けて働くことに、申し訳なさを感じることもありました。
だからこそ、一緒にいられる時間は大切にしたいと思っていました。
朝は慌ただしく始まり、夕方は保育園のお迎えから寝るまであっという間です。
子どもが小さいうちは、自分の食事もゆっくり食べられないことの方が多かったです。
それでも、家族で食卓を囲む時間は大切にしたいと思っていました。
食事を一緒に囲むということが、
子どもの心と体を育てる時間の一つになるのではないかと思っているからです。
生きていれば、楽しいことばかりではありません。
悲しいことや、つらいこともあります。
子どもたちが大人になり、自立したあとも同じです。
そんなとき、心と体が元気でいてくれたら。
落ち込んでも、また立ち上がる力を持っていてくれたら。
母として、そんなことを願っています。
毎日の食事だけで何かが決まるわけではありません。
それでも、温かいごはんを囲む時間や家族との会話は、子どもの心と体の土台の一つになるのではないかと思っています。
だから私は、完璧な食卓ではなくても、できる範囲で続けたいと思っています。
4.食卓は、帰る場所
喧嘩をする日もあります。
思うようにいかない日もあります。
それでも同じテーブルを囲み、顔を見ながら食事をする。
その時間があるだけで、少しずつ気持ちが戻ってくるような気がしています。
食卓は、ただ食事をする場所ではありません。
わが家にとっては、家族が帰ってくる場所です。
豪華な料理でなくてもいい。
完璧な食卓でなくてもいい。
「おかえり」
「いただきます」
そんな言葉を交わせる場所があれば、それだけでも十分なのかもしれません。
だから私は、これからも食卓を大切にしていきたいと思っています。
そして、その時間を無理なく続けるために、家づくりでも家事や育児のしやすさを大切にしたいと思ったのでした。

